働きやすい会社

日本経済新聞社が2005年「働きやすい会社」調査を実施し、その結果が9月5日付で発表された(詳細は同日付「日経産業新聞」)。ビジネスマンを対象とした調査では、ビジネスマンが重視している項目として、昨年に引続き「年次有給休暇のとりやすさ」が1位(59.5%)、「実労働時間の適正さ」が2位(44.2%)となった。また、「仕事のやりがい」「適度な労働時間」「高い賃金」のうちどれを重視するかという質問には「仕事のやりがい」が昨年に続いて過半数を占めたが、60.9%から57.4%に減少。逆に「適度な労働時間」が昨年の19.2%から27.7%に急進し17.6%の「高い賃金」を上回った。こうした項目が「働きやすい会社」の条件として上位を占める背景には、有給休暇制度はあってもなかなか休暇が取れない、あるいは労働時間が過長となり家族とともに過ごす時間が制約されているといった労働者がいかに多いかということを物語っていると思う。監督署に寄せられる相談でも、有給休暇に関する事項は多く、労働者本人はもとより、長時間労働で体が心配だという家族からの切実な相談も後を絶たない。

本省勤務

私も若い頃、労働省本省の庶務担当の係長をしていたことがある。5月の連休が明ける頃には、翌年度の予算要求のための作業が始まり、省内の調整が大蔵省に要求書を提出する期限の8月末まで続く。その後は大蔵省や総務庁など査定官庁への説明が予算の大蔵原案が内示される年内一杯続く。この間は、1日の仕事の切りが付くのが深夜2時3時、時には4時頃までかかることもあり、帰りは乗合のタクシーで帰るか幹部の部屋のソファーで仮眠するかといった生活だった。電車の定期は買うことがなかった。高速道路を疾駆するタクシーから朝焼けの街を眺め、家について朝刊に目を通しながら興奮した頭を鎮めるためコップ酒を飲み、それから2、3時間の眠りにつくという毎日だった。寝不足からか、物を考えようとしても頭の芯が痺れるような感じで思考能力は低下していたし、精神的にも変調をきたしていたと思う。思うように仕事が運ばず、上司からよく叱られたが、叱られても反応が鈍っており、それがまた上司の反感を買うという悪循環だった。
家に帰ると、家内はたいていは床について休んでいるが、時折、玄関脇の窓辺に座布団を積んでうずくまったまま、いつ帰るとも当てのない私を待ちくたびれて休んでいることがあった。「帰ったよ」と言って起こすと、うつろな目をこすりながら床に移り、安心して深い眠りにつくようだった。そんな様子がとても不憫でならなかった。
よくそんな生活が続けられたと今でも思う。その頃は「今ここで1日でも休んだら、その後再び出勤できるかどうかわからない」という脅迫感に支配されており、休暇をとっても残した仕事が気になり出勤する有様だった。
そんな憑かれた様な日々であったが、ある日「いつでも辞めればいいんだ」と思い至った途端、急に肩から力が抜け、気分が楽になったことが鮮明に思い出される。

辞めていったキャリア

翌年、幸運にも私はいくらか時間的に余裕のある部署に異動となった。新しい部署の向かいには婦人局という部署があり、法改正の作業で終日灯りが消えることはなかった。それほどは親しくはなかったが、時折挨拶する東大出身のキャリアの係長もそこにいて、改正作業に苦労していた。ある夜、彼とトイレで行き会ったときに「忙しそうだね」と声を掛けた。彼は暫くして「死にたいと思ったことありませんか」と、ポツリと尋ねてきた。彼の心情は以前の部署での経験から手に取るようにわかった。暫く間を置いて、私はそれまでの経験を交えて「いつでも辞めればいいんじゃないの。そんなに自分を追い詰めると心の逃げ場がなくなるよ」と問わず語りに話した。それが彼の心に届いたかどうか分からないが、勤務は相変わらずのまま、時折見かける彼の姿は疲労の色が一層濃くなっていた。
それから2年ほどしてある人の送別会で彼にあった。聞けばあの年の年度末で退職し、現在は経済紙の経営する就職情報の会社で研究員をしているとのこと。新たな活躍の場を得て、顔つきも自信に満ち、穏やかになっていた。

箱根駅伝

箱根駅伝は正月の恒例行事として楽しみにしておられる方も多いと思う。往路復路の2日間、10名20チームで各校伝統の襷をつないでいくレースは、各所に抜きつ抜かれつの波乱を含み、予想もつかない展開がなんとも楽しい。しかし、平成8年の第72回大会では、思わぬ展開にレースの運営自体が社会問題にまで発展した。その大会で優勝候補と目されていた山梨学院大学と神奈川大学が4区で相次いで途中棄権となった。その時の選手と監督の模様は、終始テレビで放映されており、御記憶の方も多いと思う。快走していた選手が急にペースダウンし、程なくコースとなった道路幅一杯にさまようように迷走しはじめる。混濁した意識の中で何とか襷をつなぎたい一心でひた走る選手と、止めるべきか否か判断に苦しむ監督との駆け引きが続く。走り続ければ選手の生命にも関わる事態を招くことにもなる。片や、一度関係者が選手に触れれば、そこで途中棄権となり、襷は途絶える。そんな重苦しい映像が「何で選手を止めないのか」との非難を巻き起こすことになった。
この時の模様は大変鮮烈な印象を残したが、相次ぐ過労死、過労自殺の報道に止まらず、監督署に寄せられる長時間労働の相談に、今の世の中、社長であれ従業員であれ、途中棄権寸前で迷走しているのではないかと思うような働きぶりがとても目に付く。ランニングハイだといって快調に走っている時はよいが、いつも恵まれた情況にいるとは限らない。苦境にあるときにはそのストレスは心身に重くのしかかる。「もう止まれ」と声をかける勇気が今ほど必要なときはないと思う。止めずに走らせ、心身に異常をきたせば社会的非難が待っている。
箱根駅伝では、この事件を教訓に、第79回大会からエントリー選手の数を増やすこととした。以後、途中棄権の事態は発生していない。会社にあっても、この教訓を生かす手立てはないものだろうか。
平成17年10月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成