途絶えた無災害記録

平成17年の花巻署管内の休業4日以上の労働災害は395件と平成16年より18.3%の大幅な増加となった(平成18年1月末現在)。この中には何年もの間職場の安全に真摯に取り組み、幾多の無災害記録を樹立してきた事業場もあり、懸命な努力を重ねてきた担当者の方の落胆の声が陰ながら聞こえてくる。

トヨタ方式

先般、トヨタ自動車代表取締役副社長の張富士夫氏が岩手県職員を対象に「トヨタ生産方式の考え方と進め方」と題して講演したとの記事がマスコミで紹介された(18.2.8岩手日報、岩手日日)。張氏は「働いている人間に考えさせる『人間尊重』が大事だ」と強調し、「人間と動物の違いは考えることにある。何も考えないで言われた通りにやるというのは人間性を尊重していないことになる。一人一人が参加し、きちんと評価されること、役割を果たさせることなどの環境をつくれば、みんな生き生きと働ける」とした上で「うまく仕事ができる環境を整えるが管理監督者の役割」と語ったとのことである。
講演の要点のみを紹介した記事からは測りがたいが、各界で活躍する経営者のインタビューをまとめた「人間発見 私の経営哲学」(日本経済新聞社編、日経ビジネス人文庫)で張氏はカンバン方式などトヨタの生産方式を確立した大野耐一氏の逸話を次のように語っている。
大野さんは怖い顔をして「例えばこうやる」と説明するから、こっちもそうかとまねををすると「なぜわしの言う通りにやった」と雷が落ちる。「わしの言う通りにやるやつはバカで、やらんやつはもっとバカ。もっとうまくやるやつが利口」という。これはつらかったね。ある課長が「できない」といった時、大野さんは烈火のごとく怒った。その理由が「お前には多くの部下がいる。人間は真剣になれば、どれくらい知恵がでるかわからん。なのに部下の知恵を全く無視して、できませんとは何事だ」というものだった。大野さんは、一人一人対等に見ていた。人間の知恵は限りない。だから追い詰めて、本当に困らせて、いい知恵を出させる。仕事だけでなく、人生観も教わった。
記事にはならなかったが、そんなことも話されたのではないだろうか。

アンドン方式

トヨタの生産方式といえばカンバン方式があまりにも有名であるが、張氏は次のようなことも語っている。(前出)
トヨタの生産方式がはじまったのは終戦直後。昭和25年の大争議の時には「大野ラインをつぶせ」と組合が騒いだそうです。ただ、在庫のないカンバン方式とか、ライン停止のアンドン方式がまだ入り乱れていた。モデルがないどころか、大学の先生たちはトヨタが効率化理論に反することをやり始めたと批判する雰囲気だった。
例えば、ライン停止。三百人の組み立てラインで一人がミスをしたら停止し二百九十九人が遊び、他の機械も止まる。こんな非効率はないという批判です。ところが、欠品をどんどん流す方が非効率なんです。高性能の機械で、部品を大量生産しても、他の工程が遅ければ無駄な在庫の山ができるだけです。大量生産や自動化は効率的に見えるが、大野さんの言う「皆が汗をかけば書くほど会社が貧乏になって、やがてつぶれる」と無意味な努力になる。トヨタ方式は人間のやる気も入っていて、勉強しがいがあった。
マンツーマンで伝授したいたトヨタ方式を理論化して本にしろということになった。1970年代の石油ショック後、部品メーカーにも導入が始まったことも背景にあった。仲間と何冊か本にしたが、後に米国工場を稼働させるときに役に立った。英語版で米国にも普及していましたからね。無論、本だけ読んでも理解できない。結局、ラインを止めてトラブルの原因をたどっていき、「なぜだ、なぜだ」を何回も繰り返し、真の原因を探り、再発防止を考える。全てに現場の人の知恵が必要。なるべく金をかけないでやるのがトヨタ流なんですね。

安全の秘訣

張氏はいかに効率的な生産をするかという観点から話されているのだとは思うが、安全もまた同様であると思う。無事故組織の安全担当者へのヒアリングなどを取りまとめた「安全の秘訣とは何か?~無事故組織に学ぶ~」((株)社会安全研究所刊)に「安全という観点から評価するのではなく、個々の工場の収益性という面から評価すればよいと思う。たとえば、トラブルで安定操業できなかったら、生産量が未達になり、事業の採算面の数値目標が達成できない。他にもトラブルが発生すれば、修繕費用として余分な予算が必要になる。そういう風に、安全に操業できるかどうかは、工場のパフォーマンスの数値として必ず出てくる」との現場からの発言があるが、安全と生産が表裏一体の関係にあることを言っているのだと思う。
さらにこんな発言もある。「人間らしいんですよ。規則どおりにやっているわけじゃなくて、みんなが工夫しながら”俺たちが”という第一人称で安全をやっているんです。」「”一人称”の安全は、外から見てもわからないんですね。三人称的な安全は、マニュアルがビシッと整っていたりして、外から見てもわかるんです。」
張氏の講演は、残念ながら聞くことはできなかったが、その語録を辿っていくと、安全衛生活動を進めていく上で貴重な示唆を得ることができたように思う。「安全衛生活動」は生産を営む上でひとつの歯車かもしれないが、この歯車なくして企業の存立もないことを教えているように思う。
無災害の記録が途絶え、落胆している安全担当者の方もおられることと思うが、労働災害はあってはならないものではあるが、なくて当然のものではない。安全に対する謙虚な姿勢を失わず、災いを教訓としてさらなる奮起を願ってやまない。
平成18年3月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成

事故のいきさつ

コンベアのローラーに片腕を巻き込まれ、休業見込み3ヵ月の災害が発生したとの報告を受け、発生状況の調査のため会社に伺った。従業員二十余名のその会社は県内に数店を構える花屋さんで、事故があったのは花束を作る加工場だった。社長さんはあいにく不在であったが、事務の方に案内してもらい、一緒に作業をしていた同僚の方から話を聞くことができた。
加工場の脇に事故のあった長さ10メートルほどのコンベアが置かれていた。花束にする花数本をポリエチレンのフィルムに入れ、コンベアに取り付けられた投入口に入れると、枝の根元が切りそろえられ、根元のところがゴムひもで結束されてお店で見かける花束となって出てくる仕組になっていた。
同僚の方によれば、「彼女はコンベアの最後のところにいて、できあがった花束を整理していたんですよ。そしたらコンベアのどこかで変な音がするっていうんで覗き込んだの。その時にヒョッとコンベアのローラーのところに手を載せてしまって。ゴム手袋してたもんだからアッという間に腕まで巻き込まれてしまって。ここの所をチョッと触れば機械は止まるのに、とっさの時にはできないもんだね。」と言って、結束用に送り出されたゴムひもをチョンと触って機械を止めて見せてくれた。

社長の心情

後日、改めて社長にお目にかかった。「お世話をおかけします」と言って、事故の様子を話し終えると「見舞いにいったら面倒かけてすまない、すまないって謝られるんだけど、すまないのはこっちの方で、ひどいけがさせてしまって。機械のこと思い出すと急に恐ろしくなるんだって言うし。事故の後、こんなことなら商売やめようと思ってね。売上もオイルショックのときより酷い。もう少し我慢すれば、もう少し我慢すればって頑張ってきたんだけどね。みんなにもやめたいって話したのさ。そしたら、社長、そんなこと言わないでもう少しやってみようよっていうんで続けてるんだけど、つらいね…。元通りの体に戻ってくれればいいんだけど。」と、しみじみと話してくれた。
労働災害は、けがをされた本人の心身に大きな傷を残すだけでなく、その仕事をさせていた経営者の方にも大きな痛手を与える。まして、親のことから子供、孫に至るまで知り尽くしているような家族同然の付き合いをしている小規模の会社であればその思いは一層強くなるだろう。

395件の災害

平成17年に当署管内で発生した休業4日以上の労働災害は395件(平成18年1月末日現在)と、前年に比べ18%も増加してしまい、改めて自分達の非力を痛感する。このうち事業場規模が50人以下の事業場で発生した災害が291件と7割以上を占めている。先の花店の社長のような思いが交錯した例がどの位あるかは量り知るすべもないが、少なからぬ経営者の方々が同じ思いを抱いたであろうことは想像に難くない。長らく労働災害を発生させることなく過してくると、それが当たり前の事になり、あたかも水か空気のように思えてくる。労働災害はあってはならないものではあるが、なくて当たりまえのものではない。そのことがなかなか理解されず、歯がゆく思われる。

事故の対応

プレス加工をしておられる社長さんとお会いする機会があった。花店の社長さんの話をすると、「うちでもプレスで指を潰す事故があってね、女性だったんだけど、事故にあったときの叫び声が忘れられなくて。その時は本当にもう仕事やめようと思いましたよ。従業員にその話をしたら、自分達も頑張るから続けたいってね、同じように言われました。それからプレスの安全装置の鍵は全部抜いて自分が管理するようにしたんです。従業員ももう事故は出せない、出したら今度こそ社長は会社を閉鎖するって思ってるから、みんな自分の言うことを聞いてくれました。KYやって、作業標準を作って、指差呼称も指示しました。KYは長続きしなかったけど、色々やっているうちに自分達にあったやり方がだんだん見えてきてね。一度は辞めようって思ったけど、『失敗の後始末ができない者は立ち直れない』っていう気になってきて。今は従業員の安全に対する意識も高くなってきたように思います。それに、事故にあった女性も職場に復帰してますから、安全に対する緊張感は緩んでいないと思います。」と話してくれた。
労働災害が発生してしまったことは非常に残念なことに違いはない。しかし、安全を考えるためにはまたとない機会と捉えなおすことが肝要だ。何が危険なのかが認識できる貴重な体験であり、それを伸ばしていくことが安全力を高めていくことになる。ヒヤリ・ハット(最近ではこれに「気がかり」を加えてHHK運動と称しているところもあるそうだが)やKY活動などは、この危険を認識する力を向上させるための訓練になる。何からやらなければならないということではない。どこからでもよい、まず何かを始めてみることだ。糸口が見つかれば道はおのずと見えてくる。安全に奇策や王道はない。こうした活動を、こつこつと地道に継続することが安全への近道になる。
しかし、監督署への報告に「作業者の不注意で…」とか「作業者のミスで…」といった記述も、依然、散見される。責任の追及のみに終始した報告と感ぜざるを得ないのだが。事故には通常一つの原因で発生することはない。「なぜだ、なぜだ」を繰返し、複合する要因を解明していこうとする態度を欠いてはならないと思う。責任の所在を作業者に押し付けるような対応は、貴重な災害体験を活かしておらず、危険の要因を放置してさらに重篤な災害を発生させる温床となるものとして厳に戒めなければならないと思うのだが。
永遠に無災害でいることは現実には不可能なことと思う。しかし、死亡災害は出さない、障害の残る事故は起こさないというふうに事故のポテンシャルを下げることは現実可能な目標になりうると思う。災害を悔いるばかりではなく、新たな無災害への第一歩とし、大いに奮起されることを願ってやまない。
平成18年3月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成

熟年離婚

昨年の12月8日が最終回となったテレビドラマ「熟年離婚」は、かなりの高視聴率だったとのこと。私もチャンネル権を持つ家内につられて最終回まで見ることとなった。話は、父親である豊原幸太郎(渡哲也)の定年退職を家族が揃って祝う晩餐の席で、妻洋子(松坂慶子)が仕事一途で家族をも顧みない夫の
生き方について行くことができず、自分の人生を取り戻すのだとして離婚を申し出るところから始まる。未婚のまま妊娠してしまった末娘、離婚し子どものいる女性と結婚の決意をしている長男、夫の浮気で離婚の窮地に立たされた長女。家族というだけで固い絆に結ばれていると思っていた父親には全く思いもよらぬ家族のありように愕然とするものの、仕事にばかり熱中していたがゆえに子供達の現在の境遇さえ知らずにいたことに深く思いを至らせ、自分の離婚を契機として家族一人一人と正面から向き合い、その思いを理解していく中で、解決の糸口を見出し、改めて家族のあるべき姿を認識していく様子は、離婚がかけ離れた世界の出来事ではなく、また、仕事に持てる時間の大半を費やす現代人にとってはいやがうえにも我が身に置き換えて見入ってしまう巧みさがあった。

市民として果すべき義務

昭和62年に56歳で夭逝した住友商事常務取締役鈴木朗夫の評伝「逆命利君」(佐高信著。講談社刊)にこんな一説がある。
「当時、個人的に親しくしていた欧州共同体の役員に招かれて夕食を共にしたときのことである。
落日の遅い夏の日の夕食を始めたのは午後十時半をまわっていた。たまたま、レストランの真向かいに日本の某大手企業のオフィスがあり、あたりのビルのオフィスはみんな退社して真っ暗なのに、そのオフィスだけが煌々と明かりをつけ、かなりの数の日本人社員が忙しそうに働いているのが見えた。
それを指差しながら、その役員は次のように鈴木に問いかけた。
『われわれヨーロッパ人には一定の生活のパターンがあり、それは“市民”として果すべき義務にしたがって構成されている。すなわち市民たるものは三つの義務を応分に果たさねばならない。
一つは、職業人としての義務であり、それぞれの職業において契約上の責任を果すことである。二つは家庭人としての義務であり、職業人としての義務を遂行したあとは家庭に帰って妻子と共に円満にして心豊かな家庭生活を営み、子女を訓育すること。三つには、それぞれの個人として地域社会(コミュニティ)と国家に奉仕する義務である。
これら三つの義務をバランスよく果さないと、われわれは“市民”としての資格を失う。
ところが、真向かいのオフィスで働いているあの人たちは、どう見ても一つの義務しか果たしていないように見える。あの人たちは妻子、家庭をかえりみず、コミュニティに対する義務を放棄し、仕事だけに生活を捧げているのではないか。
ヨーロッパにも、市民としての義務を一部免除された人たちがいる。軍人と警察官と囚人である。しかし、あの人たちは、囚人ではあり得ない。警察官でもない筈だ。とすれば最も近いのは軍人であり、彼らが属する組織は軍隊に似たものであるに相違ない。
われわれは先にいった三つの義務を応分に果しながら通常の生活を営む市民である、彼らは仕事のみに全生活を捧げる一種の軍人である。われわれが家庭人としての義務を果している間にも、教会へ行っている間にも、彼らはひたすら働いている。彼らはヨーロッパに来てヨーロッパのルールを無視しているが、これはアンフェアだと思う。
軍隊と市民が戦ったら軍隊が勝つことは明らかである。このような競争はアンフェアであり、アンフェアな競争の結果としての勝敗もアンフェアだと思うがどうか』
同感するところの多い鈴木は反論できなかった。日本人が“勤勉のモノカルチャ”の中に囲い込まれ、彼らから、会社もしくは仕事を取り上げたら何も残らないという会社人間、仕事人間になってしまったという状況は戦後四十年余り経ったいまも改善されていない。」
先進諸国の人々が日本人の働き振りをどのように見ているかということもさることながら、「市民として果すべき義務」を怠った結果が「熟年離婚」の因果に思われてならない。

ワーク・ライフ・バランス

「亭主元気で留守がいい」などと詠まれ、定年退職すれば「濡れ落ち葉」だの「わしも族」などと揶揄され、挙句の果てに「熟年離婚」では余りにも悲しい、と思うのはやはり「家庭人」としての義務を理解していない証拠であろうか。
昨年、流行語にこそならなかったが「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を新聞紙上などで見かけるようになった。少子化対策とあいまって子どもを育てながら働き続ける女性の仕事と生活の調和を求める動きが活発になってきたことによるが、景気回復の本格化を背景に団塊の世代が定年を迎える2007年問題もあり、各社が優秀な人材を確保する必要に迫られてきているという事情がある。加えて、仕事と生活のどちらを優先したいかという問に対し、仕事を優先、どちらかといえば仕事優先を合わせた割合が33.0%であるのに対し、生活を優先、どちらかといえば生活を優先を合わせた割合が47.3%(厚生労働省「仕事と生活の調和に関する意識調査」2003年)という働く側の意識の変化が働き方を変えようとする大きな力になりつつあるといえるのだろう。
思えば、校内暴力や引き篭もり、ニート等、子ども達を取り巻く問題が社会に大きな影を落としているが、こうした問題の背景にも「家庭人としての義務」が大きく関与しているように思える。子どもは親の背中を見て育つというが、今の日本では子どもが親の背中を見る時間すらない。大局的な観点から「三つの義務」を応分に果たせる社会を築いていくことが必要なのではないだろうか。
因みに、2007年4月からは、それ以降に離婚した場合、離婚までの期間に支払った年月分の年金が自動的に折半される夫婦の年金分割制度がスタートする。もう一つの2007年問題への対応、大丈夫ですか。
平成18年2月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成