熟年離婚

昨年の12月8日が最終回となったテレビドラマ「熟年離婚」は、かなりの高視聴率だったとのこと。私もチャンネル権を持つ家内につられて最終回まで見ることとなった。話は、父親である豊原幸太郎(渡哲也)の定年退職を家族が揃って祝う晩餐の席で、妻洋子(松坂慶子)が仕事一途で家族をも顧みない夫の
生き方について行くことができず、自分の人生を取り戻すのだとして離婚を申し出るところから始まる。未婚のまま妊娠してしまった末娘、離婚し子どものいる女性と結婚の決意をしている長男、夫の浮気で離婚の窮地に立たされた長女。家族というだけで固い絆に結ばれていると思っていた父親には全く思いもよらぬ家族のありように愕然とするものの、仕事にばかり熱中していたがゆえに子供達の現在の境遇さえ知らずにいたことに深く思いを至らせ、自分の離婚を契機として家族一人一人と正面から向き合い、その思いを理解していく中で、解決の糸口を見出し、改めて家族のあるべき姿を認識していく様子は、離婚がかけ離れた世界の出来事ではなく、また、仕事に持てる時間の大半を費やす現代人にとってはいやがうえにも我が身に置き換えて見入ってしまう巧みさがあった。

市民として果すべき義務

昭和62年に56歳で夭逝した住友商事常務取締役鈴木朗夫の評伝「逆命利君」(佐高信著。講談社刊)にこんな一説がある。
「当時、個人的に親しくしていた欧州共同体の役員に招かれて夕食を共にしたときのことである。
落日の遅い夏の日の夕食を始めたのは午後十時半をまわっていた。たまたま、レストランの真向かいに日本の某大手企業のオフィスがあり、あたりのビルのオフィスはみんな退社して真っ暗なのに、そのオフィスだけが煌々と明かりをつけ、かなりの数の日本人社員が忙しそうに働いているのが見えた。
それを指差しながら、その役員は次のように鈴木に問いかけた。
『われわれヨーロッパ人には一定の生活のパターンがあり、それは“市民”として果すべき義務にしたがって構成されている。すなわち市民たるものは三つの義務を応分に果たさねばならない。
一つは、職業人としての義務であり、それぞれの職業において契約上の責任を果すことである。二つは家庭人としての義務であり、職業人としての義務を遂行したあとは家庭に帰って妻子と共に円満にして心豊かな家庭生活を営み、子女を訓育すること。三つには、それぞれの個人として地域社会(コミュニティ)と国家に奉仕する義務である。
これら三つの義務をバランスよく果さないと、われわれは“市民”としての資格を失う。
ところが、真向かいのオフィスで働いているあの人たちは、どう見ても一つの義務しか果たしていないように見える。あの人たちは妻子、家庭をかえりみず、コミュニティに対する義務を放棄し、仕事だけに生活を捧げているのではないか。
ヨーロッパにも、市民としての義務を一部免除された人たちがいる。軍人と警察官と囚人である。しかし、あの人たちは、囚人ではあり得ない。警察官でもない筈だ。とすれば最も近いのは軍人であり、彼らが属する組織は軍隊に似たものであるに相違ない。
われわれは先にいった三つの義務を応分に果しながら通常の生活を営む市民である、彼らは仕事のみに全生活を捧げる一種の軍人である。われわれが家庭人としての義務を果している間にも、教会へ行っている間にも、彼らはひたすら働いている。彼らはヨーロッパに来てヨーロッパのルールを無視しているが、これはアンフェアだと思う。
軍隊と市民が戦ったら軍隊が勝つことは明らかである。このような競争はアンフェアであり、アンフェアな競争の結果としての勝敗もアンフェアだと思うがどうか』
同感するところの多い鈴木は反論できなかった。日本人が“勤勉のモノカルチャ”の中に囲い込まれ、彼らから、会社もしくは仕事を取り上げたら何も残らないという会社人間、仕事人間になってしまったという状況は戦後四十年余り経ったいまも改善されていない。」
先進諸国の人々が日本人の働き振りをどのように見ているかということもさることながら、「市民として果すべき義務」を怠った結果が「熟年離婚」の因果に思われてならない。

ワーク・ライフ・バランス

「亭主元気で留守がいい」などと詠まれ、定年退職すれば「濡れ落ち葉」だの「わしも族」などと揶揄され、挙句の果てに「熟年離婚」では余りにも悲しい、と思うのはやはり「家庭人」としての義務を理解していない証拠であろうか。
昨年、流行語にこそならなかったが「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を新聞紙上などで見かけるようになった。少子化対策とあいまって子どもを育てながら働き続ける女性の仕事と生活の調和を求める動きが活発になってきたことによるが、景気回復の本格化を背景に団塊の世代が定年を迎える2007年問題もあり、各社が優秀な人材を確保する必要に迫られてきているという事情がある。加えて、仕事と生活のどちらを優先したいかという問に対し、仕事を優先、どちらかといえば仕事優先を合わせた割合が33.0%であるのに対し、生活を優先、どちらかといえば生活を優先を合わせた割合が47.3%(厚生労働省「仕事と生活の調和に関する意識調査」2003年)という働く側の意識の変化が働き方を変えようとする大きな力になりつつあるといえるのだろう。
思えば、校内暴力や引き篭もり、ニート等、子ども達を取り巻く問題が社会に大きな影を落としているが、こうした問題の背景にも「家庭人としての義務」が大きく関与しているように思える。子どもは親の背中を見て育つというが、今の日本では子どもが親の背中を見る時間すらない。大局的な観点から「三つの義務」を応分に果たせる社会を築いていくことが必要なのではないだろうか。
因みに、2007年4月からは、それ以降に離婚した場合、離婚までの期間に支払った年月分の年金が自動的に折半される夫婦の年金分割制度がスタートする。もう一つの2007年問題への対応、大丈夫ですか。
平成18年2月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成