事故のいきさつ

コンベアのローラーに片腕を巻き込まれ、休業見込み3ヵ月の災害が発生したとの報告を受け、発生状況の調査のため会社に伺った。従業員二十余名のその会社は県内に数店を構える花屋さんで、事故があったのは花束を作る加工場だった。社長さんはあいにく不在であったが、事務の方に案内してもらい、一緒に作業をしていた同僚の方から話を聞くことができた。
加工場の脇に事故のあった長さ10メートルほどのコンベアが置かれていた。花束にする花数本をポリエチレンのフィルムに入れ、コンベアに取り付けられた投入口に入れると、枝の根元が切りそろえられ、根元のところがゴムひもで結束されてお店で見かける花束となって出てくる仕組になっていた。
同僚の方によれば、「彼女はコンベアの最後のところにいて、できあがった花束を整理していたんですよ。そしたらコンベアのどこかで変な音がするっていうんで覗き込んだの。その時にヒョッとコンベアのローラーのところに手を載せてしまって。ゴム手袋してたもんだからアッという間に腕まで巻き込まれてしまって。ここの所をチョッと触れば機械は止まるのに、とっさの時にはできないもんだね。」と言って、結束用に送り出されたゴムひもをチョンと触って機械を止めて見せてくれた。

社長の心情

後日、改めて社長にお目にかかった。「お世話をおかけします」と言って、事故の様子を話し終えると「見舞いにいったら面倒かけてすまない、すまないって謝られるんだけど、すまないのはこっちの方で、ひどいけがさせてしまって。機械のこと思い出すと急に恐ろしくなるんだって言うし。事故の後、こんなことなら商売やめようと思ってね。売上もオイルショックのときより酷い。もう少し我慢すれば、もう少し我慢すればって頑張ってきたんだけどね。みんなにもやめたいって話したのさ。そしたら、社長、そんなこと言わないでもう少しやってみようよっていうんで続けてるんだけど、つらいね…。元通りの体に戻ってくれればいいんだけど。」と、しみじみと話してくれた。
労働災害は、けがをされた本人の心身に大きな傷を残すだけでなく、その仕事をさせていた経営者の方にも大きな痛手を与える。まして、親のことから子供、孫に至るまで知り尽くしているような家族同然の付き合いをしている小規模の会社であればその思いは一層強くなるだろう。

395件の災害

平成17年に当署管内で発生した休業4日以上の労働災害は395件(平成18年1月末日現在)と、前年に比べ18%も増加してしまい、改めて自分達の非力を痛感する。このうち事業場規模が50人以下の事業場で発生した災害が291件と7割以上を占めている。先の花店の社長のような思いが交錯した例がどの位あるかは量り知るすべもないが、少なからぬ経営者の方々が同じ思いを抱いたであろうことは想像に難くない。長らく労働災害を発生させることなく過してくると、それが当たり前の事になり、あたかも水か空気のように思えてくる。労働災害はあってはならないものではあるが、なくて当たりまえのものではない。そのことがなかなか理解されず、歯がゆく思われる。

事故の対応

プレス加工をしておられる社長さんとお会いする機会があった。花店の社長さんの話をすると、「うちでもプレスで指を潰す事故があってね、女性だったんだけど、事故にあったときの叫び声が忘れられなくて。その時は本当にもう仕事やめようと思いましたよ。従業員にその話をしたら、自分達も頑張るから続けたいってね、同じように言われました。それからプレスの安全装置の鍵は全部抜いて自分が管理するようにしたんです。従業員ももう事故は出せない、出したら今度こそ社長は会社を閉鎖するって思ってるから、みんな自分の言うことを聞いてくれました。KYやって、作業標準を作って、指差呼称も指示しました。KYは長続きしなかったけど、色々やっているうちに自分達にあったやり方がだんだん見えてきてね。一度は辞めようって思ったけど、『失敗の後始末ができない者は立ち直れない』っていう気になってきて。今は従業員の安全に対する意識も高くなってきたように思います。それに、事故にあった女性も職場に復帰してますから、安全に対する緊張感は緩んでいないと思います。」と話してくれた。
労働災害が発生してしまったことは非常に残念なことに違いはない。しかし、安全を考えるためにはまたとない機会と捉えなおすことが肝要だ。何が危険なのかが認識できる貴重な体験であり、それを伸ばしていくことが安全力を高めていくことになる。ヒヤリ・ハット(最近ではこれに「気がかり」を加えてHHK運動と称しているところもあるそうだが)やKY活動などは、この危険を認識する力を向上させるための訓練になる。何からやらなければならないということではない。どこからでもよい、まず何かを始めてみることだ。糸口が見つかれば道はおのずと見えてくる。安全に奇策や王道はない。こうした活動を、こつこつと地道に継続することが安全への近道になる。
しかし、監督署への報告に「作業者の不注意で…」とか「作業者のミスで…」といった記述も、依然、散見される。責任の追及のみに終始した報告と感ぜざるを得ないのだが。事故には通常一つの原因で発生することはない。「なぜだ、なぜだ」を繰返し、複合する要因を解明していこうとする態度を欠いてはならないと思う。責任の所在を作業者に押し付けるような対応は、貴重な災害体験を活かしておらず、危険の要因を放置してさらに重篤な災害を発生させる温床となるものとして厳に戒めなければならないと思うのだが。
永遠に無災害でいることは現実には不可能なことと思う。しかし、死亡災害は出さない、障害の残る事故は起こさないというふうに事故のポテンシャルを下げることは現実可能な目標になりうると思う。災害を悔いるばかりではなく、新たな無災害への第一歩とし、大いに奮起されることを願ってやまない。
平成18年3月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成