東基連会報‗編集後記【平成30年12月号】

芸能人が俳句、生け花、料理、水彩画などに挑戦し、作者が意図するところを表現するにはどの様な手を加えたら出来映えの良い作品になるか、それぞれの作品にその道の大家が専門家の立場からコメントを加え、作品(作者?)を評価するというテレビ番組が好評のようで、家内につられて視る機会が多くなった。特に「俳句」は人気があるようで、的確な修正によって作品がこうも変わるのかと感心する。一方で、作品に仕上げるまでの推敲の過程は簡略であり、視聴者にその作品を鑑賞させる間はなく、「才能あり」「凡人」「才能無し」の評価も作者の人格を一面的に評価しているようで、違和感も少なからずある。出演者はタレントであり、所詮テレビのバラエティといえばそれまでかもしれないが、「俳句」を詠むには時の流れに身を委ね、己の感性が捉えた様々な事象を昇華していく作業であり、鑑賞する側も、同様の過程を追いながらその境地を汲むものかと思う。限られた番組の時間に納めるために削り落とされた部分は、私達の日常の生活からも同じように削られ、仕事と私生活を、いつの間にか同じテンポで過ごすようになってはいないだろうか。私の母は、晩年、短歌を詠むことを唯一の楽しみにしていた。その一首は時を超えて在りし日に誘う。
「単身赴任せしと告げし子の任地 酒田というを地図にて捜す」
(浜千鳥)