東基連会報‗編集後記【平成31年5月号】

最近は、少しまとまった文章を書ける人がいなくなってきたと思うのは、私一人ではないのだと思う。周りを見ればスマホにかじりつき、わずか数行のSNSに周囲への配慮もなく熱中する。米国大統領にして140字のツイッター頼りとなれば宜なるかなとも思う。私が中学・高校生だったころの学習雑誌などには、必ず「文通コーナー」があり、手紙を通して情報交換や交際の相手を求めたもの。言葉を吟味し、言い回しを推敲して思いを込め、返事を心待ちにする楽しみは今の若い人にはなくなってしまったのだろうか。森山良子のデビュー作「この広い野原いっぱい」では「この広い世界中の何もかも 一つ残らずあなたにあげる だから私に手紙を書いて」とある。手紙は廃れ、歌は残ったといったところか。思いを寄せる文通相手から届いた別離の手紙に彼我の遠きを恨めしく思った青春時代の記憶を辿るとき、「文通」も「恋文」も今や死語となり、「思いやり」の心も失せたように思う。元凶は本を読まなくなったことにあるのか。一字一句、心血を注いで綴った文章を通読。その後、解説を載せた文学雑誌を読み、さらに精読するなどは、今時、よほどの文学好きでなければしないのだろう。街の書店は次々と閉じられ、本屋に足を運び、気の向くまま拾い読みをする楽しみもなくなってしまった。もう一度若き頃に読んだ本を書棚に探すことにしたい。
(伝書鳩)