単身赴任

私が始めて単身赴任をしたのは34歳の時、赴任先は山形県酒田市。単身赴任者の常として、スーパーマーケットで夕食の食材を物色していた、そんな時、遠慮がちに70歳くらいの御夫人が近づいてきて「あの、お勤めは消防署ですか?」と聞かれた。何のことかと面食らっていると「あっ、警察ですか」というので「いや、監督署ですが」と答えると、「やっぱり公務員の方でしたか。それで、失礼ですが独身でいらっしゃいますか?」と、さらに分けのわからない質問。はて、何のことかと思いながらも「いや、結婚していますが」と答えると、いたく恐縮した様子で「それは失礼致しました。実は、私の孫娘の相手にいかがかと思いまして…」狐につままれた思いというのはこのことかと思いながら「いえ、どう致しまして」と言って失礼した。この事を電話で家内に話したら「相手の孫娘という方はどんな方なのか会ってみればよかったじゃないの」といわれ、それはそうだ、惜しい事をしたと、妙な後悔をした。花巻でも単身赴任をしているが、齢50を過ぎては、こんなことは二度と起こるはずもなく、スーパーマーケットで買物をしていても、憐憫の眼差しを背後に感じ、境遇を同じくするものに自分の姿を映し、寂寥の感を強くするといったところか。

母の歌

山形勤務の後、東京に赴任。仕事で新聞の縮刷版を繰っていたところ、短歌の投稿欄に母の名前を偶然見つけた。見ていた版の前後を調べると、数年前から秀作として掲載され始めており、その数も20首を超え、戦中戦後の疎開時代の苦しかった思い出、自分の母のこと、孫のこと、そして何よりも3人いる子供を詠ったものが多かった。そんな歌の中に私の単身赴任を詠んだものがあった。

単身赴任せしと告げし子の任地
酒田というを地図にて捜す
単身赴任の息子が1人
鰈煮て夕餉とるという電話切なし

当時、両親は、東京から父の郷里である長野県の小都市に引き上げ、ささやかに年金暮らしをしていた。たまに電話をしても「元気か」「仕事はどうだ」くらいの会話で、「変わりはないか」「この夏には帰省するから」などと、折角電話しても、ものの5分も話さないで切ってしまうようであったが、そんな電話でのわずかな会話の端々を反芻しながら、離れて暮す子供の事を日々思っていたかと思うと、切なくもあり、改めて親のありがたさを感ぜずにはいられなかった。
そんな両親も、鬼籍に入って久しい。今年は父の七回忌に当たる。日頃は離れて暮す兄弟であるが、それぞれが会う機会を作ってくれるのも親の恩のなせるところであろうか。

転勤と妻

もう何回転勤したのかと指折り数えてみると15回。このうち転居したのは愛知、岩手、東京、山形、東京、そして現在の岩手になる。単身赴任もしたけれど、27年の職業人生でわずか数年。ほとんどは妻を同伴しての勤務だった。結婚した時から転勤族と承知していたはずではあるが、それでもよく付いてきてくれたものと感謝している。
「夫は、職場は変わっても、同じ大きな組織の中にいて人間関係が継続している。秋田で同じ職場だった人と、出張先で出会ったとか、東京に戻ってみれば向こうも来ていたとか、人間関係に断絶がない。そのプラスマイナスもあるかもしれないけれど、妻の目から見ればうらやましい。
うらやましいと言えば、夫は転勤のたびに送別会、歓迎会と何と賑やかなことだろう。人間関係をリフレッシュし、先輩やら後輩やらに取り囲まれて、あれは快感だろうなぁと思う。こっちは、送別会も二つあればいいほう、歓迎会なんて、いまだかつてしてもらったことがない。夫は見知った仲間のところへ、それなりの評価をぶら下げて出かけるが、妻は常に新しい見知らぬ人々の所に入っていくのだから。この彼我の違いがくやしい。
転勤族の妻になったことで、人生をどこかあきらめながら生きてきたと思う。女としてあるいは一人の人間としては夫を恨みながら、だけれども夫の側で暮らすことに安心してついていく。このジレンマからは、夫が定年退職するまで解放されないだろう。」(「転勤族の妻たち」沖藤典子著。講談社刊)
私の妻は、どちらかといえば社交的なほうなのか、転勤する先々に知己を得て、長くお付き合いをいただいている。この岩手にも何人もの知り合いを持ち、こちらに来ると連絡をしては嬉々として出かけていく。岩手の言葉も、私より堪能である。大海とまではいわないが、井の中の蛙にはなることなく、見識を広げられたのも、転勤の効用ではないかと一人合点している。

家族への感謝

先に紹介した本には、転勤に伴う妻や子供、介護を要する親の問題など、その葛藤の様子を広く取り上げているが、こうした仕事を持つ者を取り巻く様々な問題は、何も転勤に伴って生ずるものと限ったことばかりではないのだろう。少子高齢化の進展は、職業人としての生活と個人としての生き方に、さらに様々な問題を投げかけてくる。家族は社会の最小の単位といわれる。その家族が日々、幸せに暮せることが、社会全体を幸せに導いてくれるものと思う。
署長として、職員を預かる立場になると、日々、つつがなく職務に精励する職員を、心置きなく職場に送り出してくれている妻や夫、子供達や親御さんに心から感謝せずにはいられない。そして、心身ともに健康のまま家族の元に返してあげることが、私の勤めであり、家族の方々に対するお礼の気持ちと思っている。支えあう家族の絆は、どんなことがあっても大切にしていきたい。「武田節」には「われ出陣にうれいなし おのおの馬は飼いたるや 妻子につつがあらざるや」とある。名将武田信玄の家臣への気遣いをあらわしたものであろう。名将とは程遠いが、私にできることは何か、業務との両立の中で、自問の毎日である。

平成17年6月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成