プレスの事故


金属加工用プレスで左手の人差し指と中指を切断するという事故があったとの報告があり、事故のあった工場を訪ねた。工場には金属加工用のプレスが整然と並び、どの機械にも作動中に金型に手を近づければ自動的に機械が停止する光線式の安全装置が取り付けられていた。会社の方に案内されて事故のあった機械を見せてもらった。1988年製、圧力能力45トン、フリクション式クラッチの汎用プレスで、この機械にも光線式の安全装置が取り付けられていた。それなのに、なぜ事故は起きたのか。
事故は、プレス作業主任者が新しい金型の取付け・調整を終了し、一般作業員が試し打ちを開始したときに発生した。安全装置のキースイッチは、作業主任者が金型取り付けの調整作業を行うために「切」に切り替えられ、その後スイッチが切り替えられることなく「切」のままにされ、キーも抜かれていなかった。一般作業員は、安全装置のスイッチの状態を確認することなく作業を開始、試し打ちの際に上型から離れなかった製品を取り外すため金型の間に手を入れ、この時点、足踏み式のスイッチを思わず踏んでプレスを起動させてしまったというのが災害発生に至る流れであった。
この工場で使用されていたプレスには、起動装置が「足踏み式」のものと、起動時に金型から手が離れなければ操作できないよう、機械の前面に両手で起動させる釦スイッチが取り付けられており、この「両手操作式押し釦」は、起動装置の役目ととに安全装置としても機能する仕様となっていたが、この会社では起動装置は常態として「足踏み式」を使わせ、二重の安全装置を機能させることができるのに、光線式の安全装置のみで作業を行わせていた。起動装置を「両手操作式」にしておけば災害の発生は防げたものと悔やまれた。

活かされなかった情報

責任者の方から、工場での安全衛生体制などについて話を聞く中で、プレスの特定自主検査の記録を見せてもらった。8ヶ月ほど前に実施された特定自主検査は、プレスメーカーの系列に当たる検査業者によって行われていた。記録は、検査の実施日ごとに一纏めにされ、機械毎には綴られてはいなかった。検査の記録というのは、病院でいえばカルテのようなもの、一台ごとに綴っておけば機械の経年変化も把握できるのにと思いつつ、事故のあったプレスの記録を繰った。
A4版で10枚くらいにはなろうかという検査記録のほとんどは、法定の検査項目に関する結果が並んでいるが、1枚目には検査結果をAからDまでにランク付けした総合評価とともに、補修項目の一覧と検査担当者から見た所見が11項目にわたって記載されていた。
責任者の方に「この検査記録、ご覧になったことありますか」とたずねると、「検査の結果、部品の交換とか修理が必要な箇所については、メーカーの方から見積書が送られてくるので、それで修理をお願いしているが、検査の記録については、記録として残しておくだけで、目を通したことは正直に言ってないです」との返事であった。
検査記録の検査担当者の所見欄には次の事項が記載されていた。
  • 各種の切り替えキースイッチを作業者が勝手に操作できないよう作業主任者がキーを保管してください。(安衛規第134条-2)
  • 本機の安全装置のキー管理がされていません。作業者の安全を守るため、安全装置のキーは作業主任者が必ず保管してください。
  • 足踏み操作は危険です。両手押釦操作式に切り替える改善をして下さい。
(プレス災害総合対策)
プレスの災害は、必ずと言っていいほど後遺障害を残す。プレスによって潰された手指は、手術によってつなぐこともできないければ、再び生えてくることなどありはしないのだから。それだけに、検査担当者が書き残した警告が活かされなかったことが残念でならない。

氾濫する情報

現代は情報社会と呼ばれる。在来のテレビや新聞等の他に、衛生放送の契約をすればチャンネル数は格段に増える。パソコンのインターネットを使えば、キーワードを入力しマウスをクリックするだけで膨大な情報がたちどころにディスプレイ上に現れる。業界紙誌に各種のダイレクトメール。放っておけば机の上は雑多な情報の山と化す。溢れる情報に追いまくられる様は、チャップリンの「黄金狂時代」を髣髴とさせ、ともすれば悲しくもあるが、それが現代に生きる姿なのだろう。
人の持てる時間には限りがある。限られた時間の中で、この溢れる情報の中から真に必要な価値ある情報を把握し、活用していくかは、常に、安全や衛生あるいは労務管理に関して問題意識をもって情報に接していく方法以外ないのではないかと思う。
先のプレス災害を発生させてしまった会社でもそうなのだと思うが、発注書から納品書、請求書といった企業運営に必要不可欠な書類を見落とすことはないであろうが、当座こなさなければならない情報から遠ざかるに従ってそこにある情報は省みられること無く消失していってしまっているものとおもう。会社のリーダーとして従業員の安全が大切であるとの認識を疑うわけではないが、厳しさを増す一方の取引条件に気を使わざるを得ず、氾濫する情報の中から職場の安全や衛生などに関する価値ある情報を的確に把握する余裕も感性も失ってしまっているように思えてならない。
けがや病気になってからでは遅い。特定自主検査のみならず、作業環境測定や健康診断の結果など、職場の環境の改善に必要な情報を見過ごしていないか、今一度見直しをしてもらいたいと思った災害だった。

監督署と情報

花巻署の館内にはおよそ1万2千の事業場がある。これに対して所の職員は13名。必要な情報を提供することは困難を極める。適切な情報が提要できれば、災害も未然に防ぐことができるだろうし、労使間の争いも減少するだろうと思うと忸怩たるものがある。せめて、皆さんが「こんな時はどうすればよいのだろうか」と思った時、情報の集積場所として監督署を気軽に利用していただければと思っている。
平成17年8月1日
花巻労働基準監督署長時代
滝澤 成