東基連会報‗編集後記【令和元年7月号】


ユニセフが6月13日付けで発表した日本など41カ国の政府による2016年時点の子育て支援策に関する報告書によれば、日本は給付金など支給制度を持ち、出産休暇・育児休業期間の長さなど男性の制度で1位の評価を得たが、「実際に取得する父親が非常に少ない」との特異性とともに、日本男性の取得促進には「社会的に受け入れられるようになることが必要だが変化には時間がかかる」と指摘。日本の男性が育休を取得しない理由として①職場の人手不足②育休を取得しづらい社内の雰囲気などを挙げていることも耳が痛い。「子どもたちの脳の発達にとって、ひいては彼らの将来にとって、人生の最初の時期より重要な時期はありません」とはユニセフ事務局長ヘンリエッタ・フォア氏の言。EU議会は本年4月、両親それぞれに認められていた育休4カ月のうち、2カ月の所得補償も義務づけることを賛成多数で可決したとのこと。彼我の差を思わずにはいられない。「父の日」が「母の日」より疎んじられる昨今、将来「ぬれ落ち葉」などと揶揄されないためにも、社会全体が男性の育児参加に向けて奮起すべき時が来たのではないか。
(紅葉マーク)

東基連会報‗編集後記【令和元年6月号】

祝賀ムードの中で元号が「平成」から「令和」に改められた。上皇は天皇退位を目前に控えた4月23日、退位に関連した儀式の一つである「昭和天皇山陵に親謁の儀」を終えられた後、産業災害により殉職されたかたがたを慰霊するため建立された「高尾みころも堂」を皇后と共に訪問され、26万人余の御霊を祭る拝殿で供花されたとのこと。両陛下は皇太子ご夫妻時代からこれまでに6回訪問されているとのことであり、戦地への慰霊、地震などの被災地に慰問に行かれたのと同様、労働災害で亡くなられた方々への気遣いを忘れず、人の命を大切にするお心をありがたく思う。供花の後、労働災害による死亡者数の推移の説明を受け「ずいぶん少なくなりましたね」と感想を述べられ、死亡者数を減らすには「どういう努力が必要ですか」と質問されたとのこと。説明に当たった方がどのような回答をしたのかは、残念ながら報道されていないが、皆さんはこの御下問にどうこたえるだろうか。6月は全国安全週間の準備期間である。各社とも安全大会をはじめとして、様々な取組が行われることと思うが、陛下の御下問への答えを見出す努力もまた全国安全週間の意義であることを再確認できればと思う。
(案山子)

東基連会報‗編集後記【平成31年5月号】

最近は、少しまとまった文章を書ける人がいなくなってきたと思うのは、私一人ではないのだと思う。周りを見ればスマホにかじりつき、わずか数行のSNSに周囲への配慮もなく熱中する。米国大統領にして140字のツイッター頼りとなれば宜なるかなとも思う。私が中学・高校生だったころの学習雑誌などには、必ず「文通コーナー」があり、手紙を通して情報交換や交際の相手を求めたもの。言葉を吟味し、言い回しを推敲して思いを込め、返事を心待ちにする楽しみは今の若い人にはなくなってしまったのだろうか。森山良子のデビュー作「この広い野原いっぱい」では「この広い世界中の何もかも 一つ残らずあなたにあげる だから私に手紙を書いて」とある。手紙は廃れ、歌は残ったといったところか。思いを寄せる文通相手から届いた別離の手紙に彼我の遠きを恨めしく思った青春時代の記憶を辿るとき、「文通」も「恋文」も今や死語となり、「思いやり」の心も失せたように思う。元凶は本を読まなくなったことにあるのか。一字一句、心血を注いで綴った文章を通読。その後、解説を載せた文学雑誌を読み、さらに精読するなどは、今時、よほどの文学好きでなければしないのだろう。街の書店は次々と閉じられ、本屋に足を運び、気の向くまま拾い読みをする楽しみもなくなってしまった。もう一度若き頃に読んだ本を書棚に探すことにしたい。
(伝書鳩)

東基連会報‗編集後記【平成31年4月号】

東京労働局では、今会報「行政の窓から」にあるように、これから社会に出て働く若者が、労働契約法や労働基準法など働くルールの理解を深めることを目的に、大学や高校、専門学校で行うセミナーや講義に職員を派遣し、機会均等・キャリア教育の充実を図る活動を展開している。
一方3月に入り就職活動が本格化し、各地で会社説明会が開催されている。ニュース情報では、最近の就活は様変わりしてきているらしい。入社試験や面接での出題傾向が変わったという。例えば「東京オリンピック・パラリンピックでの開催は、社会や経済にどのような影響や課題があるか、あなたの考えを述べてください」えっ!正解は?今就活の現場ではこのように、“正解の無い時事問題”で学生に単なる知識を求めるのではなく、本人の考えや資質を測ろうとする企業が増えているという。情報が簡単に手に入り、AIで素早く処理できるようになってきている昨今、人間にはこれまで以上に“正解の無い課題”について考える力が求められている。
2019年に卒業予定の学生から募集した「就活川柳」最優秀賞は、「不合格 心もSuicaもチャージ切れ」定期外の区間へと何度も足を運び、会社の説明会や面接に何回も参加してから不合格の通知をもらうと、心にもSuicaにもチャージがなくなり萎えてしまうのだろう。売り手市場とはいえ、社会の変化に対応する若者にエールを送りたい。

4月に入り、一目で新入社員とわかる若者の姿を多く見かけるようになった。いわゆる就活の開始時期を巡っては、昨年、様々な議論があったが、(株)ディスコが本年2月に発表した「2020年卒・新卒採用に関する企業調査―採用方針調査」結果によれば、2020年3月卒業予定者の採用見込みは、前年よりも「増加」(28.0%)、「減少」(7.9%)となり、9年連続で「増加」が「減少」を上回り、採用活動のスタンスは、「学生の質より人数の確保を優先」が25.2%と、今年も4社に1社が「質より量」を優先するとのこと。先の議論が何を目的にしたものか、透けて見える、といっては言い過ぎか。1978年、オイルショック後の就職氷河期に就職した我が身に照らせば隔世の感がある。新入社員の教育はこれからが本番。「質より量」に走って採用した人材は玉石混淆だろう。採用に当たった担当者の目が確かかも問われるが、人が持つ隠れた才能を見出し、企業が必要とする人材に育て上げる技量もまた試される。才能はすぐに開花するとも限らない。採用者の「量」を確保するためのコストやエネルギーより、人を育てることの方が、それぞれの新入社員の人生そのものを左右することを考えれば、遙かに慎重であるべきだし、高いコストやエネルギーを要すると考えるのは、筆者だけではないだろう。評価の定まった在職社員の人事異動もこの時期。新たな業務に就く方も、新たな任地に赴く方も、幸い多き門出になることを祈ってやまない。
(鬼軍曹)

東基連会報‗編集後記【平成31年3月号】

旧聞になるが、昨年12月3日、「新語・流行語大賞 トップ10」が発表され、NHK番組「チコちゃんに叱られる!」のチコちゃんのきめ台詞「ボーっと生きてんじゃねーよ!」が入選した。子供から大人に発せられることを前提にしているが、この番組を見たことがない故に返ってそう感じるのか、職場の上司などからこの言葉を投げかけられたらどのように思うかが気に掛かった。大賞の発表を追うように、12月14日に開催された労働政策審議会において、職場のパワーハラスメントの防止対策について、雇用管理上の措置を講じることを法律で義務付けることやその定義、事業主が講ずべき措置の具体的内容等を示す指針を策定することが適当であるとの内容の報告書案が審議された。職場のパワーハラスメントの定義については、
ⅰ) 優越的な関係に基づく
ⅱ) 業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により
ⅲ) 労働者の就業環境を害すること(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること)
の3つの要素を満たすものとされている。「文字」が「ことば」になるとき、たとえそれが流行語であっても、発言の意図が相手を中傷することを目的とするものであれば「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」と言えないか。ただ、発言の「意図」を第三者が見抜くのは至難の業。子供番組の流行言葉とはいえ、異常乾燥状態の職場への恵みの雨とは程遠いのでは。
(伝書鳩)

東基連会報‗編集後記【平成31年2月号】

消費税率引き上げに伴ってキャッシュレス化も、とは財務省の目論見?IT化の進展からすれば、キャッシュレス化後進国にわが国で当然の成り行きかもしれないが、看板娘?との束の間の逢瀬を奪われると思うのは年寄りのひがみか。ともあれ、コミュニケーションの希薄化が進んでいると感じるのは筆者一人ではないだろう。京都大学総長で霊長類学者でもある山極寿一氏曰く「人間は常につながりを求め進化して来た。信頼や期待を受け、自分と他者が世界を共有し生きるのが人間であり、人の定義はそこに行き着く。」と。コミュニケーションといえば「飲み会」と言われて育った世代としては、その場もやや影が薄くなった感があるが、1次会の費用は会社もち、ただし、お店で一緒になった社員は部署を問はず杯を交わすことなどのルールを決めて復活するなどの兆しもあると仄聞する。時間的・精神的な負担、懐具合との兼ね合いもあるが、健康上の問題や翌日の仕事の効率にも響くことなど、コミュニケーションの場としての「飲み会」を復活させるには多面的な配慮が必要だろう。「朝方勤務」など、働き方改革で先陣を切り、話題の多い伊藤忠商事。同社の「働き方改革」を紹介するホームページで垣見俊之人事・総務部長は「社内の飲み会は1次会のみ10時までを徹底しています。」と「110運動」の取組を説く。良好な人間関係の構築を「働き方改革」の礎とするのならば、改革は一朝にしてならずか。
(馬酔木)